地元発見伝の機能に興奮しまくったので、思わずブログを書きます。
僕が飯山満小学校に転入したのは、小学校5年生の2学期でした。中途半端なタイミングとなった理由は、父が当時勤めていた会社の社宅を出なければいけないリミットだったからです。
僕は両親が年をとってから生まれた子供だったため、父は定年を迎えていました。定年なので社宅に住む権利も当然なくなったわけです。
父は8人兄妹の長男で、男性が5人、女性が3人の兄妹構成でした。田舎に母(僕にとっては祖母)を一人残し、定年を機に祖母の待つ田舎に帰るか、継続雇用で子会社に出向するかの選択を迫られていました。
僕は母に尋ねられたことを覚えています。「田舎に帰りたいか。船橋に残りたいかと。」
当時、小学生の自分は、田舎で待つ祖母のことを配慮することなどできず、また、何もない田舎に帰るという選択肢は全くなく、「こっちに残りたい」と答えました。
僕の言葉が父の決断の全てだったかはわかりませんが、結果的に船橋に残ることになり、僕も飯山満小学校に転入することになったのです。
その6年後に父は喘息をこじらせ亡くなるのですが、あの時田舎に帰ると僕が言っていればもう少し長生きが出来たかもしれません。祖母とも沢山の時間を過ごせたかもしれません。
一方で、あの時田舎に帰っていれば、僕は高校卒業後にみかんを作っていただろうし、はてなで働くことも無かったと思います。
人生何が正しいか、なかなかわからないものではありますが、自己ではなく、相手のことを思って下した判断に後悔は少ないと思っています。
父の判断に後悔はなかったか、あの世で聞いてみたいことの一つです。
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