1死1・3塁でセカンドゴロを1塁に投げた試合から考えたこと

今年も開幕した全国高校野球選手権大会ですが、連日熱戦が続いています。昨日の試合では、1死1・3塁の場面でセカンドゴロを1塁に送球しサヨナラという結果がありました。一人の野球経験者としてこの結果から考えたことを記したいと思います。

満塁策は取れなかったのか

試合をすべて見たわけではありませんので、前後関係を理解していませんが、1点勝負であれば満塁策でも良かったのかもしれません。とはいえ、打順は9番で歩かせると上位に回るということを考えれば、あわよくばゲッツーということを期待したのかもしれません。また、満塁策をとることによる押し出しのリスクもあります。
総合的に勘案した結果、9番勝負を選択したのがあの場面での解だったと推測します。

イメージはしていたか

バッターが打席に入る前に、状況確認ができていたのかが気になります。どのような打球が飛んできたらどうするか、考えられる可能性を出来る限りイメージしておくことが大切です。守備位置を見ると中間をとっていたようなので、緩いゴロであればバックホーム以外の選択肢はなかったはずです。それをイメージ出来ていたのか、イメージしていたけど体が反応出来なかったのか、難しいところです。

声がけはあったか

打球が飛んだ瞬間、周りの野手が声を出していたのか、キャッチャーが呼んでいたのか、その声は二塁手に聞こえていたのかが気になります。延長12回のサヨナラの場面ですので、周囲の歓声にかき消されたと言えば、それまでです。聞こえない声は意味が無い、と高校球児だった頃に怒られたことを思い出しました。
周囲の助けがあったのか、それが伝わっていたのか、おそらく届いていなかったのだろうと思います。

指示の曖昧さ

あの緊迫した場面で、ゲッツー or バックホームという守備体系が本当に正しかったのか、悩んでいます。かつてどこかで似たようなことがあったなぁと思った後に思い出したのが、WBCでの内川のダブルスチールです。あの時は、「走れるなら走っても良い」という曖昧なサインの結果、悲劇を生んでしまいました。勝負どころの緊迫した場面であればあるほど、明確な指示が必要なのだと改めて納得しました。

結論

私見ですが、ファーストに放おった二塁手を攻める気持ちは全くありません。むしろあのセカンドゴロが来る前に、チームとして準備できることがあったのではないか、ということのほうが悔いが残ります。とはいえ、僕がこのように書けるのも全ては結果論です。結果を知ったからこそ考えられることが沢山あります。


野球は打者vs投手という切り口でみれば、個人スポーツと捉えられます。しかし、瞬時の状況判断に対する周囲のサポートやプレーのつながりで考えるとチームスポーツなのです。戦術を考える監督はもちろん、それを受けてプレーする選手一人一人が自分で考え、チームのために動くことが求められるのです。


ビジネスにおいても、人生においても、重要な場面であればあるほど、事前のシミュレーションとその先をイメージすることが大切です。私達は日々意思決定をしながら生きているわけですが、昨日の試合を通じてあらたなる学びを得た気がします。

正しい戦術を選択し、結果をイメージし、チームのために貢献できれば良い結果がついてくると信じています。野球を通じて学んだことを人生にも活かしていきたいと思います。


P.S. 小松高校ルーズベルトゲームならず、残念でした。