親戚をありがたいと思った話

すっかり冬らしさも増してきた最近ではありますが、風邪などひいていないでしょうか?久しぶりに激しく体調を崩したことに加えて、寒い季節になってくると人間の温かさが一層伝わるものです。今日はそんな話です。


先週、今週と立て続けに親戚が母のお見舞いに駆けつけてくれました。来てくれた親戚はいずれも僕の叔父にあたります。父は8人兄弟の長男でその弟たちがお見舞いに来てくれたのです。大阪、広島と文字通り遠路はるばるなのですが、なんというか本当にありがたいなと思いました。

僕は父も母も8人兄弟なので、親戚が沢山います。いとこを数えてみたら父方だけで19人いました。小さい頃はそんな環境が当たり前と思っていて、世の中の多くの人が夏にはばあちゃんのいる田舎に帰り、親戚一同でワイワイやるものだと思っていました。

実は自分がマイノリティで、田舎がない人が沢山いることを知ったのは高校生の頃です。うちの田舎は松山空港から特急で1時間、さらに車で40分という辺鄙な地にあります。特殊といえば特殊なのですが、この田舎を知っていることが自分の人生の助けにもなっています。



田舎の親戚付き合いは時に面倒臭いこともあり、不条理なこともたくさんあります。年功序列かつ男尊女卑なヒエラルキーが形成されており、田舎では誰しもがそのルールに従います。

子供は使いパシリに行きますし、女性はひたすら食事の準備をします。大人の男は朝から晩まで飲み続けます。そんな環境に誰もが文句を言わずに与えられた役割を担います。

ただ、若かった叔父叔母も歳をとり、ばあちゃんも亡くなり、みんなが田舎に集う機会はなくなりました。それぞれが都会に出て家庭を築いている中で、ばあちゃん亡き今となっては田舎に帰る理由も無くなってしまったのです。



何となく距離感も生まれていた親戚付き合いの中、父の兄弟が母のお見舞いのために東京までお越しいただいたことが本当に嬉しかったのです。

そして親戚だけではなく、母のお見舞いに来てくれるみなさんに感謝をしたいと思ったのでした。


  • 誰がわざわざお見舞いに来てくれるのだろう。
  • 誰がこんなに母のことを心配してくれるのだろう。
  • 誰が僕にご飯を奢ってくれるのだろう。


ご馳走様でしたとこの場を借りてお礼を申し上げます。